It was a dark windy night. #1

 僕は当てもなくロランシア平原を彷徨っていた。本当にまったく何の当てもなく。
ただ自分の部屋にいるのがどうしようもなく息苦しくなって抜け出してきただけだ。
いや、自分の部屋にいるのが息苦しくなって、というのはあまり正確じゃないかもしれない。
僕が感じていた息苦しさは生きている環境そのものに対してのものだったからだ。
かといって、その環境から抜け出すことはできない。
ただときどき小さな反抗として、こうやって部屋を抜け出してつかの間の自由を楽しむのがせいぜいだ。

そろそろ、僕がいなくなったことに気づく頃だろう。
みんな心配してるだろうから、夜が明けるまでには帰らないといけないな。

黙って抜け出してきたくせに、そんなことを気にしてしまう自分自身もいやだった。

つらつらと考えていると、激しい風の音にまぎれて歌声が聞こえてきた。

どこからきこえてくるんだろう?

しばらく声の来る方向を探っていたがよくわからない。
不意に風がやんだ。
風がやむと、その歌声ははっきりと聞こえてくる。どうやら海辺の方から運ばれてきているようだ。
自然と足がそちらの方に向かう。
上空ではまだ風が吹いているのか、背の高い樹のてっぺんで、木の葉がばさばさと音を立てている。
木々の間を抜けて海の見えるところまででると、その声の主の後姿が見えた。
遠くまで広がる暗い海を背景にシルエットが浮かんでいる。

まだ、少女と呼んでも差し支えのないくらいの年齢じゃないかな?

腰まで伸びた長い髪。スカートがふわふわに広がったワンピース。まだ丸みを帯び始めたばかりであろう華奢な肩。
どこに悪意が含まれているかもわからないこの闇夜に、およそふさわしくない姿だったけれど、とても綺麗に景色の中に溶け込んでいた。
ときおりゆれる髪が、この情景はただの完成された一枚の絵ではないのだということを思い出させる。

彼女に気付かれずに、ゆっくりと歌を聞ける場所はないかな?

あたりを見回すと、少し離れた所に大き目の樹があったのでそこを僕の特等席にすることに決めた。彼女からは死角になるよう樹の裏側に腰を下ろす。
歌の内容自体はありふれたものだった。
帰ってこない男を待ち続ける女の悲哀を描いた歌。
けれど、とても情感がこもっていて今まで聞いたどの歌よりももの悲しかった。

彼女にも待ち人が居るのだろうか?

目を閉じて、体ごと彼女の歌の世界に沈み込む。

彼女が歌を歌い終えると真っ暗な静寂が訪れた。
仕方なく目を開けると、そこはいつもの世界だ。
また歌い始めるのを待っていたが、一向に次の歌は始まらない。

今日はこれでおしまい?

木の陰から顔だけ出して彼女の様子をのぞき見ると、彼女はまっすぐにこっちを見ていた。

気付かれた? いや、そんなはずはない……。
でも、こっちを見ていたし……。

「何してるの? こっちにおいでよ」

やはり、気付かれていたのか。
本気で気配を消していたわけではないけど、少しショックだった。

素人に気配をよまれるなんて。

だけど、今はそんなことを考えている場合じゃない。
このまま逃げるか、彼女の前に姿を見せるか……どうにかしないと。

逃げる? 何で逃げないといけないんだ?
あの女が逃げるならともかく、なんで僕の方が逃げないといけないんだ?
僕はなんで逃げようなんて思ったんだろう。

彼女の一言で、自分の臆病さを再確認させられた気がした。
僕は立ち上がって、お尻に付いた土をパンパンと払ってから、フードを深く被りなおす。

顔を見られないように気をつけないと。

どういうつもりで「こっちにおいでよ」なんて声をかけてきたのかは分からない。
でも、何にしろ姿を見せたら逃げ出すに違いない。
武器を隠し持つためのぶかぶかのローブに、顔が見えなくするために深く被ったフード。
真夜中の話し相手とするには、あまりに不適切な格好だ。

もう少し歌を聴いていたかったけど、こうなってはもう無理だろう。
逃げられることを覚悟して、木の陰から彼女の前に姿をあらわす。
もしかしたら話ができるかもしれないという淡い期待が心に浮かぶが、すぐにその期待を自ら打ち消す。
下手に期待してしまうと裏切られた時に落胆も大きくなる。

ああ、そうか。
僕は彼女に逃げられることが怖かったんだ。
だから、自分から逃げたかったんだ。

少しずつ恐る恐る彼女に近づく。
彼女はそんな僕の気持ちを知ってか知らずか、ただこちらを見ている。

「こんばんは」

歌っているときよりも、ずっと子供っぽい声だった。
僕も同じく「こんばんは」と挨拶を返す。
少し声がかすれた。

少女は満足げに笑顔でうなずくと、くるりと海のほうを向いてしゃがみこむ。
何か話しかけようと思うのだが、適当な話題が見つからない。
かといって、このままこの場を去るのも惜しい気がする。
仕方がないので、僕は黙ってつっ立ったまま海を見ていた。

彼女は顔だけ上を向いて「ねぇ、どうしたの? 座らないの?」と聞いてきた。

「うん。座る」

それだけ答えて、彼女の隣に並んで座った。
それから、さっき不思議に思ったことをそのまま聞いてみる。

「ねぇ、どうして僕が居ることに気づいたの?」

これでも、戦士としての正規の訓練を受けている。
素人に……しかもこんな少女に気取られるなんて。
でも、なぜか敗北感とか悔しいとか……そういった感情を彼女に感じることはなかった。

It was a dark windy night. プロローグ

とても風の強い夜だった。
 空は一面厚い雲に覆われ、世界がまるごと頭から毛布でもかぶっているみたいだ。
そのため、夜空の支配者たる月や星々は、世界の寝顔を覗き見をするといういつもの楽しみを奪われていた。

今日はこの世界も平原のププや鹿達と一緒にさっさと寝てしまう気なんだな。

そんなことを考えていると、激しい風の音すら世界の寝息に思えてくる。
昼間なら人の出入りの激しいロランシアの町の東門も、人っ子一人見あたらず寂しい限り。それもそうだろう。こんな月も出ていない風の強い夜は、まともな人間ならいつまでも外をうろつかずに、さっさとに家に帰って家族との会話を楽しむに違いない。

 そんな夜に僕らは出会った。
僕は僕で”まともな人間”なんかじゃなかったし、彼女は彼女で”会話を楽しむような家族”なんていなかったからだ。

もんすたあさぷらいずどゆう エピローグ

「どうか、無事に帰ってきますように」

 少女は、今もまだ祈り続けていた。
たまに目を閉じると、彼女を襲った『モンスター』の姿が脳裏にちらつく。
『ニンゲン』という名の『モンスター』の姿が。
その姿を振り払う為に、一生懸命に兄の姿を思い浮かべようとするのだがうまくできない。

 鋭い牙やとがった角……

 いつもなら容易(たやす)く思い浮かべられるのに、今日は何故かうまく像を結ばなかった。
嫌な予感がしたが、無理やり気のせいだと納得しようとする。
少女は全てを優しく包み込んでくれる眠りの中に逃げ込もうと考えながら、最後にもう一度だけ「どうか、無事に帰ってきますように」と祈った。

 しかし、その少女の祈りは、彼女の信仰する暗黒の女神テスラの下へと届くことはなく、ただセルニカの風とともに無限の虚空へと消えていくばかりだった。

もんすたあさぷらいずどゆう surprise:6

 ジギタリスの放ったブリスは、モンスターを直撃し、魔法の炎がそのモンスターを包み込む。
炎が消えないうちに、と一気に男に駆け寄る。

「おい、大丈夫か?」

 聞こえていないのか、何の反応もなかった。
肩を揺らしながらもう一度聞く。

「変な悲鳴をあげてたが、大丈夫か?」

 それでようやく気がついたらしく、男は涙目になりながらジギタリスに抱きつく。

「ごわがっだよぉ」

 ジギタリスはにべもなく男を押し戻す。

「男に抱きつかれても嬉しくない」

 男に怪我がないことを見てとると、ダークオーガに向き直りグレートソードを抜き放つ。
剣の刃が鞘の口をすべり、金属同士のこすれあう澄み切った高い音を平原に響き渡らせた。
切っ先をまっすぐにダークオーガへと向ける。
そこへ、弓を捨てたベラドンナが盾とロングソードを構えて横に並ぶ。

 ベラドンナが素早い剣さばきでダークオーガを翻弄し、隙が生まれた所でジギタリスが大剣での力強い一撃をあたえる。
ダークオーガも健闘はしたものの、息の合った二人の連携の前にあっさりと倒れ伏す。

 二人は剣を収め、一息ついた。

「なんかこいつ妙に強くなかったか?」
「強い……っていうか、しぶといっていうか……。
 ちょっと生への執念みたいなものは感じたね」
「ああ。そんな感じだった」
「それはいいにしても……。この人どうしようか?」

 襲われていたのは、「ダークオーガと仲良くなってきます」と勇んで食堂を出て行ったあの男だった。
襲われているのを見つけたときには「これでもまだ仲良くなれるなんて思うのか?」と嫌味のひとつも言ってやろうと思っていたジギタリスだったが、男のあまりに哀れな様子に何も言う気にはなれなかった。
ダークオーガはすでに倒されたというのに、男はまだかなり取り乱している。

「ひどいんだよ。僕は両手を挙げて降参してたのに、殴ろうとしてくるんだよ。
 僕は敵じゃないよ。安心してって、ずっと言い続けてたのにだよ」

 ジギタリスのチュニックの裾をつかんで、涙ながらに訴える。

「いくら怖かったからって、なにいきなり幼児退行起こしてるんだ、気持ち悪い奴だな。
 そもそも、ダークオーガに人間の言葉が通じるわけがないだろ」

 男はしばらくぐずついていたが、いきなり倒れこんだままのダークオーガの所まで走っていって、「よくも、やってくれたな」などといいながらその頭を蹴り飛ばす。
蹴った足がかたい角を直撃し、悲鳴をあげてうずくまった。
再び涙目になっている。
その時、ダークオーガの胸元から何かが転がり落ちた。
それと同時に、ダークオーガの肉体は密度を失い始め、やがては完全に消え去った。
おそらくモンスターの守護神たる暗黒神テスの所へと旅立っていったのだろう。

「おいおい。敵対している以上、こいつらに情けをかけるつもりはさらさらないが、無意味に貶めるような真似はやめとけよ」

珍しくジギタリスが厳しい口調で非難する。
男は、そのダークオーガの胸元から転がり落ちた『何か』を拾ってきた。

「こいつ、こんなものをもってましたよ。戦利品です。どうぞ、お納めください」

 それは薬瓶と真っ赤な靴のようだった。

「アルコマションとウールシューズか。別にいらないよな?」

 同意を求めるようにベラドンナの方を見ると首を縦にふった。

「では、私がもらってもよろしいでしょうか? 妹へのお土産にします」
「お? 妹がいるのか?」
「なんですか? いますよ。少し年が離れていまして、あなた方よりも少し上くらいなりますかね」

ジギタリスが「おおっ」と歓声をあげる。
ベラドンナもぴくりとだけ反応したのだが、二人に気づかれることは無かった。

「可愛い?」
「兄の口からいうのもなんですが、とても可愛いですよ」

 ジギタリスは再び「おおっ」と喜びの歓声をあげる。
しかし、その次の一言で喜びは一気に落胆へとかわった。

「本当に可愛いですよ。私に似て」

 ベラドンナがわざとらしく「ぷっ」と噴出す。

「おじさんに、似てるのならきっと美人でしょうね。紹介してもらったら?」

 からかうように、ジギタリスに微笑みかける。

「そうだ。是非うちに来てください。妹もきっとあなたたちのことを気に入るでしょう」
「いや、俺はそういうつもりで助けたんじゃないから」
「そう、遠慮なさらずに」
「遠慮とかそういうんじゃなくて」
「私は会いたいなぁ、妹さんに」

 そうして三人はにぎやかにセルニカの街へと帰っていった。

 その途中一度だけ、ジギタリスが真剣な顔つきをして、ベラドンナに尋ねた。

「俺のしたことは間違ってなかったよな?」
「まだそんなこといってんの? あなたは間違ってない、って。
 さっき納得してたんじゃなかったの?」
「それはそうなんだがな」
「私のいうことが信じられないの?」
「そういう問題か?」
「私が、間違ってない、っていうからには間違ってないのよ。
 私が白と言えば白。黒といえば黒。白いものでも黒になるの。
 黒だということにする、じゃだめよ。黒に見えるようになりなさい」
「そんな無茶な。なんかもうどうでもいい。余計なことは考えないことにする」
「そうそう。それでよし。あなたは、私のことだけ考えてればいいのよ」
「……」

 釈然としない思いを一部残しつつも、「ありがとな」と小声で一言だけいうと、ベラドンナは何も言わず、ただ笑顔でこくりとうなずいた。

surprise:5

「お兄ちゃん。お願いだから、私の為に無理をするのはやめてね?」
「今日こそいい薬が手に入りそうなんだ」
「危ない所にはいかないよね?」
「お前に心配されるほど落ちぶれてはいない。安心して寝てろ」

 そんな会話がかわされたのが数刻前。
ここはジギタリスたちがお昼を食べていた食堂から見るとはるか東にあたる。
その『お兄ちゃん』は今、ちょうど薬を手に入れ帰途についていた。
薬と一揃いの靴を胸に抱きしめて、薬の調合師とのやり取りを反芻(はんすう)する。

 その調合師は、どんな傷でも治す薬が作れると評判だった。
気さくな男で、事情を説明すると二つ返事で引き受けた。

「しかし、その話を聞くとどうも怪我だけが原因じゃねぇかもしれんな」
「そうなんだ。
 あれ以来外をすごく怖がっているし、そのことも関係してるのかもしれない」
「うむ。そうだな……」

 そのまま考え込み始めたので、話かける事がはばかられ、少しの間黙っていると、何か思いついたらしく突然口を開いた。

「そうだ。ちょっとまっててくれ」
「なんだ?」

 奥の部屋に入っていき、なにやらごそごそとはじめる。

「これをやろう」

 ちょっとして戻ってきたかと思うと、いきなり何かを投げてよこした。
それが何かもわからないまま両手で受け止める。
見るとそれは真っ赤な靴だった。

「なんだ? 靴?」
「新しい靴でもありゃ、それ履いて外を歩いてみたくなる。
 それが女の子ってもんだろ?」
「なんだよ。えらく可愛い靴が出てきたかと思ったら、顔に似合わないセリフはいて。
 なんでこんなのもってるんだ?」
「そいつはな。俺の娘の靴だ」
「おいおい、いいのか? 娘さんに無断で俺がもらっても。
 娘さん、怒るんじゃないか?」
「怒りゃしないよ。もう死んでんだから」

 どう答えていいかわからず、しばらく呆けていた。
なんの音も聞こえてこない。
空気の澄み切った冬の早朝のようなとても静かな空間がそこにあった。
娘が死んだ。
そのことをさらっといえるようになるまでにどれだけの時がかかったことだろう。

「俺の娘もモンスターにやられたんだ。
 10回目の誕生日を目前にしてな。
 目の前であの子は消えていったよ。
 後には何も残らなかった。
 この靴は誕生日プレゼントとして用意してたんだ。
 一人でここへ帰ってきたら、この靴だけがぽつんと残されてたよ。
 その靴をはくはずだったあいつはもういないのにな」

 遠い目をして淡々と語るその言葉には、感情らしきものはほとんど何も含まれていなかった。
娘を失ったことの辛さや苦しさはおろか、怒りや悲しみすらも。
もうそんな感情はすでに磨り減りなくなってしまっていたのかもしれない。

「ま、だからさ。
 お前さんの妹には元気になってほしいわけだ。
 すまんな。暗い話きかせちまって」

 そういって「お前が暗くなることはない」とばかりに肩をぽんぽんと軽くたたく。
男に笑顔が戻り、空間はまた音を取り戻した。

「……いや、こっちこそ悪かった。辛い話を思い出させちまった」
「いいんだよ。たまには思い出してやらないと娘が可哀想だ」

 だけど、今そういいながらも、毎日そのことばかり考えてるって顔してたぜ?
そんな風に思いはしたが、さすがにそれをいうわけにもいかず「ああ」とだけ返事をした。

「そろそろ、帰らせてもらうよ。あまり長居しても悪いしな」
「そうか。気をつけて帰れよ」
「ありがとな」

 そうして、男の所を後にしたのだった。

 ふと周りを見渡すと、いつの間にか『モンスター』の出る地域にさしかかっていた。
いや、それどころの話ではない。明らかに生き物の気配を感じる。
後ろを振り返ると、まだ遠くにだが青い服をきた何かがいるのがわかった。
どうやら、例の『モンスター』のようだ。
すごい勢いでこちらに駆けてくる。
そのまま一気に来るかと思ったら、ある程度の距離で立ち止まった。
なにやらもごもごと言いながら、両腕を挙げてさらに近づいてくる。
何を言っているのだろう? 何かの呪文だろうか?
一見すると隙だらけなのだが、こちらの攻撃を誘う手なのかもしれない。
……考えていても仕方が無い。
どちらにしろ、この距離では逃げ切れないんだ。
やってやろうじゃないか。
今やられるわけにはいかない。
この薬と靴をもって帰らなくては。

 右足を少しひいて、戦うための体勢を整える。
攻撃の届く範囲まで近づいた所で、先手必勝とばかりに殴りかかる。
『モンスター』が一瞬驚いた顔をしたのが見てとれた。
だが、その拳が届く前に、失敗した口笛のような音を立てて矢が飛んできた。
その矢はどちらにもあたらずにそのまま間を通り過ぎていく。
反射的に腕を引き一歩下がって状況を見極めようとする。

「ぎぃやぁぁぁぁぁ」

 『モンスター』が、今まで聞いたことも無いような恐ろしい叫び声をあげる。
同時に矢のきた方向から聞きなれない言葉が聞こえた。
聞こえた通りにいうなら「ブ・リ・ス」といった感じだろうか。
その言葉から一瞬の時間差をおいて、目の前が真っ赤に染まった。
それは滴る血の赤でもなく、さっきの靴の赤でもなく、燃え盛る炎の赤だった。

もんすたあさぷらいずどゆう surprise:4

「うん。いこっか」

ベラドンナは返事をして、荷物をまとめはじめる。
その間に、ジギタリスは二人分の勘定をすませた。

「先に外でまってるから」

一言だけ告げて、店からでていく。

「ちょっとまってよ。ジギタリス

ベラドンナが準備を終えてようやく店の外に出たとき、ジギタリスは店の外壁にもたれかかって腕を組んでいた。
彼女が出てきたのに気付くと、壁から離れてベラドンナの方を向き直る。

「遅いよ」

ベラドンナは露骨に不満そうな顔をする。

「悪かったわね。しょうがないでしょ。私はあんたと違って、盾とか弓とか色々大変なのよ」
「ま、いいけど。早く行こう」

返事も待たず歩き出した。
ベラドンナは慌ててそれを追う。
背負った盾と矢筒ががちゃがちゃと音をたてた。

「何あせってるのよ?」
「別にあせってなんかいないよ」
「ふうん」
「あんまり信用してなさげな返事だね」
「そんなことはないけどぉ」

ベラドンナはわざとらしく間延びした口調でそれだけいい、それ以上追求しようとはしなかった。

「あ、そうだ。それより、お勘定。いくらだった?」
「いいよ、いいよ。今回は僕が持つよ」
「お。太っ腹だね。にぃちゃん」
「にぃちゃん、ってがら悪いな」
「どういう風のふきまわし?」
「うーん、余計な気をつかわせちゃったから」

ベラドンナは軽く微笑んでから、かうように言った。

「ああ、そうねー。私が止めるのも聞かずに、男を挑発したジギタリスが悪いんだしねー」
「……。いじめるなよ」
「あせってるのもそれでしょ? あのおっさんを探しにいくつもりなんでしょ?」

ジギタリスは言葉に詰まって、落ち着かない様子で右手にはめたブリヂオンリングをもてあそびはじめる。
今までに、幾度となく彼の戦いを助けてきたリングだ。
このリングを身に着けていれば、火の女神ブリキッドの力をかり、炎の魔法を操ることができる。
ジギタリスはその中でもブリスと呼ばれる魔法を得意とし、長距離での攻撃はもっぱらそのブリスに頼っていた。

「……いきなり話を戻したな」
「でも、そうなんでしょ?」
「違うよ。俺には、悲鳴が聞こえるんだ。セルニカの片隅でダークオーガに襲われている美女が俺の助けを待っている」
「へぇー」

ベラドンナが「馬鹿々々しい」といった感じで、適当な相槌(あいづち)をいれる。
視線が痛いな、と思いながらもジギタリスはさらに言い募る。

「そして、助けてあげた後に、あなたは命の恩人です、どうか私の夫となってください、と言われる予定だ」
「それは良かったわね」
「なんだよ。ベラドンナだって、いい男が襲われているのを助けて、愛の告白をうけるストーリーの一つや二つ期待したことあるだろう」
「うーん。馬鹿っぽいのはわかってるけど、いいわね。そういうのも」
「ほらほら」

なぜか勝ち誇ったようにいうジギタリス
その時ベラドンナが急に彼の前に回りこんで、鼻のすぐ前にびしっと右の人差し指を突きつける。
そのあまりの唐突な行動に、急に立ち止まることができずに、人差し指につっこんでいき鼻の頭を思い切り押しつぶされる。
通行人の何人かが、不審の目を向けながら隣を通り過ぎていったが、なにをしているのかを聞く勇気を持った人物は一人もいなかった。

「よし。じゃぁ、ダークオーガに襲われているいい男を捜して」
「いやだよ。襲われている美女をさがすんだ」

鼻の頭にある指を鬱陶しそうに払いのける。
ベラドンナは、すぐにまたその鼻の頭へ人差し指を押し付けた。

「さがせ」

今度はその手を払いのけようとはせずに、むしろ逆に自らの両手で優しく包み込んだ。

「じゃぁ、こうしよう。
 その男を助けたら、あなたは命の恩人です、どうか家に寄っていってください、となってだな、家にいってみると、病弱な妹がいるわけだ。
 そして、あなたが兄を助けてくださったのですね、もし兄になにかあったら私はどうしていいのか。
 こんな病弱な体じゃ、働くこともできないし、一人衰弱していって寂しく死んでいくところでした。
 だから、あなたは私の命の恩人でもあるのです。
 どうか、夫となってください。
 これならどうだ?
 これなら、俺もお前も、二人とも幸せになれる。うんうん。こういう人をさがそう」

二人とも何も言わずに見詰め合う。
事情を知らない人がみたら、往来(おうらい)の真ん中で堂々とラブシーンを演じているカップルのようにも見えるだろう。
その証拠に悪趣味な野次馬が一人、愛の語らいを聞いてやろうと、ゆっくりとした歩調で隣を通り過ぎるふりをして聞き耳を立てていた。

「今更こんなことをいうのはなんだけど……」

ベラドンナは、左手をジギタリスの両手に重ねる。

「あんたほんっきで、馬鹿でしょ……」
「何を失礼な!」
「その手を早く離して、馬鹿がうつる」

彼女は左手で彼の両手を押さえて、その中に入っている右手を引っこ抜く。

「なにもそこまで言わなくても」

野次馬は何も言わずそのままそそくさと逃げていった。
また、二人は歩き出す。

「ねぇ。正直にいいなよ。さっきのおっさんを助けるつもりなんでしょ?」
「なんだ? あの男か? あの男じゃ、助けたところで妹には期待できないなぁ」
「その話は忘れろ!」

二人とも黙り込む。
しばらくそのまま歩き続けていたが、根負けして先に口を開いたのはジギタリスの方だった。

「はいはい、そうだよ。
 俺の言うことを真に受けて、不用意にダークオーガに近づいていったりしたら危険だからな」
「最初から正直に言えばいいのに。なに照れてんのよ。でも、ジギタリスのそういうところ好きよ」
「ほんとにそう思ってるのかよ? なんか軽いなぁ。いまひとつ心がこもってないぞ」
「まあまあ、いいじゃない。
 それならそうで早くいこうよ。
 おっさんを見つけたのはいいけど、すでに死体だった、ってことになっちゃうよ」
「だから俺はさっきから早く行こうとしてるだろ」

そうして二人はセルニカ平原へと急いだ。

「でもさ、今この時に、このセルニカのどこかで『お兄ちゃん、私のことはいいから自分の為に生きて』とかやってる人たちはいないかな」
「いないって……ジギタリスのその幸せに腐れた頭の中以外には、ね」
「『ジギタリスのそういうところ好きよ』って言ってすぐによくそこまでひどいことが言えるな」